日記・コラム・つぶやき

2017年4月30日 (日)

雨ニモマケズ~

卓球に関して、選手も指導者も完全な自信を持って活動している人はいるでしょうか?それに近い状態が、いわゆるゾーン状態なのだと思います。多くの場合は完全な準備はできないし、常に試合や練習には大なり小なり不安があると思います。私自身、人間いつ死ぬか分かりませんし、生きていること自体が何らかの不安感があるのではないかと思います。

この様な中で、どの様に卓球に対して取り組むか、生きて行くのかが課題になると思います。
未来はどうなるか分かりませんが、ベストを今尽くすことができるかどうかが大切だと思います。生きて行く中で、試合をするにあたって、9割り方思い通りになりません。思い通りにならない不安の中で、ベストを尽くせば次の道が自然に出てくる気がします。自分の中のベストを尽くしていれば、失敗は存在しないと思います。迷いがある場合は、ベストを尽くしていないか、活動不足かもしれません。
今の年齢になって、小学生の時に読んだ宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の詞が心に突き刺さります。

2016年4月30日 (土)

あたり前の基準

昨日、親戚の葬儀がありました。私自身も両親や身内の死を経験して来ました。身近な人が亡くなった時に色々と感じることがありますが、

死をリアルに感じることが、自分自身の生き方を考えるきっかけになったり、普通の生活がいかにありがたいことかに気付かされます。あたり前の生活、試合の勝ち負けに一喜一憂したり、親子喧嘩したり、仕事のことで悩んでみたりできること自体がどれだけ有り難いことかを死を持って考えさせられます。
何もない日こそ不平不満の感情に支配されず、あたり前のありがたさを感じながら生きて行ければ、1日1日がより輝く様な気がします。

2016年1月 7日 (木)

感謝できない病

最近読んだ本に、何となくやる気が出ない、やりたいことが見つからない、生活に張りがないので、どの様に生きて行ったら良いのか分からないという相談者に対して美輪さんが返答されていました。原因は感謝できない病で、不平不満ばかりに視点が行ってしまう厄介な本性にあるとの答えでした。
これを読んで、大なり小なり自分自身も少し心が痛みました。自身が様々な苦労をし、普通の生活に対して感謝できるような心持ちの時は、良い循環が生まれる気がします。しかしながら良い循環の時に勢いに任せた生活をしていると、マンネリ感が出てきたり、何となくやる気が沸いて来ない気がします。
大人でも子供でも感謝の気持ち、様々な条件が整って卓球をさして頂いている感覚がある人は伸びていると思います。逆に不平不満が、まず口から出るタイプの人は、また不平不満を口にしたいような悪循環が続いているように見受けます。皆さんいかがでしょうか?

2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。年末に風邪を引き、治り切らないまま新年になってしまいました。毎年、毎日考えることですが、卓球をもっと理解したい、スクールに来ている方、選手がもっと上手くなり試合で勝つために何をすれば良いのかということです。完成はないと思いますが、今年も一緒に頑張ってくれる方がいることに感謝して、スタートしたいと思います。本年もよろしくお願い致します。

2015年11月 4日 (水)

卓球部(大学時代)3回目の引退

高校時代、浪人生活と色々とありましたが、何とか大阪府立大学に入学できました。卓球部には一応入部しましたが、燃焼感がなくもんもんとしていました。1回生の後期に入り、遂に卓球部をやめ、一度は目指したアメリカンフットボール部に入部しました。しかし入部しすぐに骨折をしてしまい、頭を冷やす良い機会を得ました。これもやはり縁であるのか、卓球部の友人が復帰を手助けてくれ、また卓球部に戻ることになりました。

この友人は、現在までずっと交流があります。実はこの友人の結婚式で私は受付をしましたが、その隣で新婦側の受付をしていたのが現在の私の妻になりました。人の縁、卓球の縁は人生にかかわるので、本当に大切にしなければならないと感じる今日この頃です。

2015年10月12日 (月)

浪人時代

現役の受験は、全く合格の可能性はなく、見事に全敗で浪人生活に入りました。

浪人生活では、人生で一番勉強時間が長かったと思います。1日8時間ぐらいは、各科目にノルマを作り受験勉強をしていたと思います。勉強しないと未来の自分が壊れそうな恐怖感もあり、さぼることが不安だったような気もします。その成果が2学期からは、顕著に表れ京大合格判定が各模試でD又はE判定だったのが、A判定が出ることが多くなりました。高校時代は大学に対して、正直目標がなかったのでモチベーションが上がらなったのですが、明確に京大でアメフトがしたいという目標ができたおかげで、これだけ実行に結びつくのが実感できてよかったと思います。当時、京大アメリカンフットボールの監督の水野さんが経営されていた水野塾で、当時のスター選手の方や水野さんに励まして頂いたことは、良い思い出になっております。

順調に行きかけていた受験勉強ですが、年末ぐらいからゴールが見えてきた感じがあり、そこで勉強に対する意欲がなぜかほんの少し減速しているの感じておりました。今なら分かりますが、水泳の北島選手の影響で有名になりましたが、脳科学的にゴールが見えると集中力は下がるということです。まさにこのパターンに入ってしまっていたと思います。見事にまた受験失敗で、結局は大阪府立大学に入学することになりました。大人、子供問わず、卓球は2-0リードで3セット目も勝っていても逆転される試合は、珍しくありません。何事も、ゴールは目標の一歩先に作らなければ、実現しないという経験をさせて頂きました。

第一志望には合格できませんでしたが、今考えると本当に良かったと思っております。なぜななら京大に不合格になったおかげで、卓球の指導者になれ、府大だったからこそ親友と呼べる友人に出会えたからです。これは、何事にも変えられない宝物だと思っております。

2015年10月 8日 (木)

卓球部(高校時代) 2回目の引退

私は、高校の卓球部に入り、まずは最初に総当たりのリーグ戦をやったのですが全敗でした。結果には落ち込みましたが、今考えれば当たり前で、全国のトップクラスの選手が集まる中で京都府で上位にも行けない選手が勝てるはずもありません。半年ほど卓球部に在籍はしておりましたが、卓球の道では生きていけないと決断し、高校1年生の秋には卓球部を退部しました。

それからは、比較的勉強なら楽にエリートコースに戻れるだろうという非常に甘い考えがありました。しかしながら、何の目標もないのに勉強にも身が入らず、精神的にも随分くすぶっていたと思います。そうしている間に高校3年生の秋になり、そのころにやっと大学の第一志望が決まることになりました。京都大学アメリカンフットボール部です。その当時の京大アメフト部は、最強で連続日本一になるチームでした。また部員のほとんどの選手が大学からアメフトを始めた素人集団で、そこから日本一になる独特の考え方があることに大きく魅力を感じました。

高校3年生の12月に一人で甲子園ボールを見に行きました。目の前で京大が圧倒的な力で日大を倒し、日本一に輝きました。これで私は完全に京大が第一志望に決まりました。しかしながら、当然遅すぎました。そして浪人生活に突入していくことになりました。

2015年10月 4日 (日)

卓球部(中学時代)③ 1回目の引退

中学時代は、後半はほとんど伸びが感じられず楽しさより苦しさがやや勝っていた感じでした。中学3年の夏の総体が終わり、不完全燃焼気味に引退を決めました。卓球も少しはしていた記憶がありますが、やめることにしました。9月ぐらいだと思います。

その後、何となく目標を失い、勉強にも身が入らず卓球をしていた時よりも成績が落ちていきました。ずるずると年を越そうとしている時に、たまたま高校生のサッカーやラグビーのテレビ番組を見ていて、なぜか全身に鳥肌が立つくらいに感動しました。充実感のない毎日を過ごすより、卓球に賭けてみようという思いがふつふつと湧いてきました。そして中学の顧問の先生に無理をいって、高校の卓球部に入部させて頂けるようにしてもらいました。

1回目の引退から、卓球の世界に戻ろうとしたきっかけは、たまたま見たテレビですが、こういうのは偶然ではなく必然だったかもしれません。

2015年10月 2日 (金)

卓球部(中学時代)② イップス

中学に入学し、最初の1年はかなり順調に卓球ができてたと思います。しかしながら2年生になる春休みぐらいから違和感が出てきました。練習で最初に出すロングサーブがまともに出せない、フォア打ちが練習開始時に全く入らないことが、段々と増えました。今、考えると完全にイップスだったと思います。

現在では神経や心理的な問題だと認識されていますが、当時の私には好きな卓球が本当に怖くなりました。スクールに来ている方の中にも、イップス気味な人がいます。原因は、まじめにボールに足を正確に合わせて動き、同じ打球点でしっかりと体重移動で打とうとしていることにあると思います。一見この内容は、基本に忠実で何が悪いんだと考えられる方が多いと思います。しかしながら、かなりのレベルの方でないと様々なボールに対して1本1本正確にフットワークをして、体重移動を行いながら同じ打球ポイントで打つということは不可能に近いということは、経験的に理解できると思います。無理に近いことをやってボールを入れようとするために、角度調整などが定まらずイップスになっていくと考えられます。もう少し頭とフォームに柔軟性を持たせて、フットワークはあまり行わず、手を伸ばしたり縮めたりして体の前で打球すればOKだと考えるとフォームに弾力性が出て、スムースに打てるようになるのではないかと思います。できれば中学時代の自分にアドバイスをしたかったです。

今、中学時代の自分を振り返ると本当に卓球を知らなかったし、失敗だらけです。もちろん今でも分からないことがたくさんあります。自分自身では頑張っていたつもりですが、恥ずかしいぐらい見当違いの方向性で練習や試合をしていたと思います。だから結果も出ませんでした。ただ失敗の経験は、コーチとしては役に立っているので無駄ではなったと思います。来て頂いているスクール生の方には、少しでも卓球の技術ができた時の爽快感や勝利の味を知ってもらいたいので、日々卓球の研究をして行きたいと考えております。

2015年10月 1日 (木)

卓球部(中学時代)①

小学生の時に、卓球に魅せられた私ですがその後は、特に本格的にはやらず、小学校のクラブや児童館で遊ぶ程度でした。

しかしながら親の勧めで受験した東山中学にたまたま合格し、入学することになりました。もちろん卓球の名門東山高校の付属中学であるとは、全く知りませんでした。中学入学当時は、野球やサッカー、バスケットボール部などかっこいいイメージのあるクラブに入ろうと思っていましたが、なぜか休部であったり、見学した時に魅力を感じなかったので入部しませんでした。そして最後に見学した高校、中学卓球部が、これまた目茶苦茶かっこ良く、感動しました。その当時の東山高校は、春の選抜、インターハイ3冠王、国体と全て日本一になるメンバーが揃っていたのでした。今の青森山田高校のような感じでした。本格的な選手の卓球を見るのが初めてで、卓球台2台分をオールフォアでフットワークしたり、カットマンが卓球台3台分ぐらい動いているのみて大変驚きました。即私は卓球部入部を決意しました。

こうした流れも、今考えると、本当に卓球と縁があるとしか考えられません。

この続きはまた明日以降に、紹介していきたいと思います。

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